リビングひろしま.com  女性のための生活情報サイト【運営:広島リビング新聞社】
【リビング カルチャー倶楽部】 現在募集中の講座はコチラ♪ 入会金・年会費無料★ 広島のリビングカルチャー倶楽部主催のカルチャー教室・カルチャースクール・資格取得講座情報サイト
ゲスト さん
ログイン

 

 
電子新聞で『リビンひろしま』が読めます★ リビングひろしま 2017年8月5日号 夏こそ爛好僖ぅ広疚と香りでシャキッ
2017年8月5日号

夏こそ爛好僖ぅ広瓠時短キーマカレーレシピ付き
2017年8月5日号

バックナンバー
 

広島リビング新聞社 会社案内はコチラ 
広告のお問い合わせはコチラ
【お知らせ】熊本地震被災者支援のための義援金を受付け中
素敵な広島女子のためのリビング口コミサイト「みてみて広島」 口コミして抽選で図書カードGET

新着トピックス

カレンダー

123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031
◆「ふるさと歴史散歩 平清盛ゆかりの地」 記事一覧を見る◆

ふるさと歴史散歩 平清盛ゆかりの地 【連載52】

手を洗って願掛け 満舟寺の3つの謎 〜呉市豊町御手洗〜

「東広島郷土史研究会」会員 住本雄司

 
1994 年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された御手洗の町並み
1994 年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された御手洗の町並み

航路の謎

 大崎下島東端に位置する御手洗(みたらい)は、瀬戸内海を航行する商船が、風待ちや、潮待ちのため立ち寄った港として栄えました。
 背後の山の鼻に、清盛ゆかりの満舟寺があります。清盛が安芸守の時、上洛の途中に御手洗の沖で風波に遭い、船が転覆しそうになりました。手を洗ってお祈りしたところ、何と空が晴れました。清盛は、感謝の印として草庵を建て、十一面観音を安置。これが、同寺の前身だそうです。
 しかし、この伝承には疑問があります。倉橋島南沖から斎灘(いつきなだ)を一気に渡る「沖乗り」は、江戸初期に開かれた航路であり、清盛の時代は、下蒲刈島三之瀬を経て、西行も立ち寄った多賀富美の浦(呉市安浦町、第49話参照)など、山陽沿岸を航行する「地乗り」だったはずです。
 

地名の謎

 実は清盛だけでなく、満舟寺の西、天満神社でも、神宮皇后が手を洗ったという伝説や、菅原道真が大宰府に赴く途中に立ち寄ったという菅公御手洗の井戸もあります。
 

石垣の謎

寺にしては立派すぎる満舟寺の石垣は「乱れ築き」と呼ばれる戦国末期のもの
寺にしては立派すぎる満舟寺の石垣は「乱れ築き」と呼ばれる戦国末期のもの
 満舟寺の石垣は、豊臣秀吉が四国征伐の時、加藤清正が築いたとされています。しかし、この戦いでは、伊予の河野氏を毛利軍が忠海(竹原市)から今治に上陸して制圧しており、清正の関与は考えにくいです。
 

謎解き

旧・柴屋住宅の御手洗(おてあらい)。私もここで、手を洗ってみました。さて、そのご利益は…(笑)
旧・柴屋住宅の御手洗(おてあらい)。私もここで、手を洗ってみました。さて、そのご利益は…(笑)
 住む人もなく、周辺の農民が舟で渡って出作りの田畑を耕作していた岬が、寄港地として適することに気付き、ここに毛利氏が城を築いたことが、御手洗の歴史の始まりではないでしょうか。
 江戸時代、北前船が行きかうようになると、御手洗は急速な発展を遂げます。その隆盛は、「諸国色里番付」の前頭上位に位置づけられる程でした。清盛などの手洗い伝説は、成長期の住民パワーの産物と思われます。
(東広島郷土史研究会会員 住本雄司)
 
 
 
前の記事へ 「ふるさと歴史散歩」平清盛ゆかりの地 ふるさと歴史散歩 【連載51】清盛が三日三晩 参籠した宝積寺 (リビングひろしま2012年1月26日号掲載)
次の記事へ 「ふるさと歴史散歩」平清盛ゆかりの地 ふるさと歴史散歩 【連載53】偉大な父の名が付けられた“忠海”〜(リビングひろしま2013年2月9日号掲載)
 
提供:広島リビング新聞社
(「リビングひろしま」2013年2月2日号掲載)
リビングWeb  主婦のお役立ちとお出かけ情報が満載
リビコミュ  ポジティブに生きる女性のための「ステキ!」発見コミュニティ
シティリビングWeb  きっかけがある、共感がある
あんふぁんWeb  ママのための子育て情報サイト
シュフモ  スーパーのチラシ情報
COPYRIGHT HIROSHIMA LIVING SHIMBUNSHA ALL RIGHT RESERVED.

Produce : WCMS Developed : Netprompt